石田梅岩の説く神道
いよいよ大晦日。あっという間に過ぎた一年でした。
富山はどちらかと言えば雪の元旦を迎えるようなのですが、神社は初詣客で賑わうものと思われます。神とはわかりにくいものなのですが、江戸の風俗と儒学者梅岩(ばいがん)を学ぶことで、謎が解けます。
江戸時代にも、お願い参りは盛んだったようです。ただ今と異なるのが、祈りが叶ったら、お礼も派手だったこと。神社に行くと鳥居などの提供者の名前などが書いていあるのですが、それはその時の名残り。お礼自体が派手になっていったようです。
それに対し、梅岩は、
神様と契約してはいけない、
相手を蹴落としてまでも自分に有利になるように、といった祈りに神様を引きずりこんで、神様を悪者にしてはならない、
と説きました。
菅原道真の説いた
心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん
の言葉通り、心を清浄にするのが第一のようです。心を清く、つねに神様の前に立っているような心構えで過ごすことが「神様に祈る」ことであり、そうすることで人間本来の心が生まれてくるようです。
さて、道真がそのような気持ちでいたにもかかわらず不遇で終わったのはなぜか?実はそう考えること自体が、俗気に犯されているのだと思えてきました。真意と成功、名誉、財産などはイコールの関係ではないのだと思います。
昨日書かせていただいた「茅の輪くぐり」は別名「たいたいくぐり」とも言われています。もう一度、母親の腹の中から出た状態に戻る、と言った意味。純真な心でいることが神々(こうごう)しいこと、と考えると、思想を学んだり、歴史を学んだり、仙台四郎といった人物を学んだりして、「誠」を探ることが大切なのではないか、とも思いました。



