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延命十句観音経を一万遍唱えると超能力が身につく

人生山あり谷あり

人生というのは、山あり谷ありのものです。そんなことはない、私は不幸の連続だ、と思っている人がいるかもしれませんが、幸せな期間は記憶に残らないからです。それに比べ、不幸はずっと記憶に残る。だから不幸にしか思えないのです。

幸せな瞬間というのは、大抵我を忘れている時間でもあります。私は子どもの頃、プラモデルを作るのが好きだったのですが、作っている間は時の経つのを忘れている、そう、記憶が抜け落ちているので楽しい、と感じられないのです。その割りには、パーツをうっかり折ってしまったり、セメダインの瓶を倒してしまったり、と不幸なことはいつになっても憶えています。幸不幸の認識というのはこんなものなのです。

一日、一年、一生の中で、常に人は幸不幸を繰り替えています。いや正確にいうと、幸不幸と感じることなのですが、そういった感覚を持ちながら暮らしています。幸不幸の波は大抵は小さなものなのですが、どん底級の不幸が訪れることがあります。どん底級の悲しみを私も味わったことがあります。その際、友だちのお父さんに相談したところ、誰でも3回辛いことがある、と言われました。こんな辛いことがあと2回もあるのか、と思うとその時は益々気が滅入ったのですが、今振り返るとそういった不幸を乗り越えることが人生なのでしょう。

友だちのお父さんに、どうしたらこの辛さから乗り越えられるのか、と尋ねたところ、

「酒よ。」

とだけ答えられました。その時は随分いい加減なことを言うもんだなぁ〜、と思ったものなのですが、今ならその意味がよくわかります。心の傷は忘れることによってしか癒されないのだ、と。

人生につまづいた時はお経を唱えるべし

友だちのお父さんに酒を呑め、と言われた時、解決法になっていない、と思った私は、仏教に解決を求めることにしました。子どもの頃より雑誌「ムー」が好きな神秘大好き少年だったため、仏教の世界に入るのは抵抗がありませんでした。といっても、宗教団体に入信する、というのではなく、簡単な仏教入門書を読んだだけです。

CDのついた禅関係のお経の本に出会いました。その頃は今の自分とは違い煩悩だらけだったので、お経を唱えると何かご利益が得られるのではないか、と思い、CDを聞きながらお経を唱えてみることにしました。お経というのは、意味もさることながら唱えることに意味があるのだ、と思います。始めのうちは、意味を調べたところで正直なところ、内容がよくわからないはずです。その頃は般若心経や延命十句観音経をよく唱えました。お経に価値を見いだしておられる人は、姿勢正しく、清らかな場で、というのですが、どこでも気がむいた時に唱えたらいい、と思います。草むしりなど、単純作業などする際などは最適な時間。単純作業の辛さを忘れられるのです。

ご利益を得るためにお経を唱えていたのですが、お経を唱えることによっていいことなど起こることはまず、ありません。では何のためにお経を読むか、というと世の中の見方が変わるのです。

ありがとう経

ありがとうを唱えるといいことが起こる、というスピ系の教祖がいらっしゃいました。ご利益を得られない、と思ったにわか信者の方々に支えられ一時は盛り上がったのですが、何の変化も起こらない、とわかった瞬間、ブームは去りました。トイレ磨きも然り。

同じような議論は、教育の現場でも見られます。「東大に合格する人は水泳をやっている」と聞いた教育ママは、嫌がる息子を水泳スクールに入れよう、とします。水泳をやっていて行くことができるのはオリンピックです。トイレ磨きをすることでいいことが起きる訳がありません。

超能力とは何か?知るべし

図書館で右脳開発の七田先生の「音読革命」を借りてきました。この本、CDもついていて結構いい本なのですが、掲載作品全てがCDに入っていないのが残念なところ。ただ、結構楽しめます。本の中で、私が以前唱えていた延命十句観音経についても一万遍唱えると超能力が身につく、と書かれています。

音読革命

一万遍というと大変そうに思えるのですが、延命十句観音経は短いお経なので、それほど大変ではありませんし、一万遍唱えた人は世の中にたくさんいると思います。

それを知ってか、七田先生は解説を加えていらっしゃいます。このお経は、左脳の意識を保ちながら唱えるのではなく、右脳の意識に入って唱えるのが大切なのだ、と。

唱えて心が無心になることが大切。超深層意識状態は、統一状態で、純粋意識の状態です。ここまでくるとスピ系でさすがの私も嫌悪感が出てくるので、私なりの解説をしてみます。

天使が降りてくる

酒を飲みながらアイデアを考えると、既成概念の枠を外れたいい考えが浮かぶことがあります。今はデザイン業界も不況なので、徹夜に追われることは少なくなりましたが、アイデアが浮かばなくてふらふらになった時、突然ひらめいたりすることがあります。

肩の力が抜けた状態、とか、天使が降りてきた状態とかいったものなのですが、これが、超深層意識状態なのだろう、と思います。あえて死語を使うならば、α波が出たトランス状態ですね。

ご利益がある、と言われてトイレ掃除を始めた場合には、ご利益という左脳にしか意識がいかないので、ご利益がないと億劫になってきます。そうではなく、トイレ掃除をすることによって、右脳によびかけをすることが大切なのです。それと同じく、お経を唱えることもご利益を期待するのではなく、何も求めないクタクタな状況になるまで唱え続けないといけないのです。

クタクタな状況になり左脳の意識から解放されるとどうなるか?

執着から解放されるようになります。お金儲けがしたい、とか幸せになりたい、といった気持ちはもちろん、健康でいたい、長生きしたい、といった気持ちすら起きなくなります。

お金儲けや幸せは執着とわかるが、健康や長生きは望んでもいいのではないか、と思われるかもしれませんが、健康や長生きを望むことは逆にストレスになったりします。人として生まれてきたからには、金は欲しい、と思うし、例えば裸を見たらムラムラとくるのは当然です。ただ、それ以上の執着を持たないでいられること。それが大切であり、その状態をキープできることが超能力である、ということ。

パラドックスの世界のごとく、超能力を得たい、と望んでいるうちは、超能力は身につかないのです。

延命十句観音経を一万遍唱えると

繰り返していいますが、延命十句観音経を一万遍唱えても、ご利益を期待しているうちは何も身に付きません。

さて、今年1月に社長であった父を亡くしました。亡くした後も、淡々としている上に、最近では実家の玄関先でタンスを壊したり、遺品をポイポイ整理しているので、親に冷たい子だ、と思っている人も中にはいるかもしれません。

辛くないか、と言われたら辛いですし、昔の自分だったら絶望に浸り、負の遺産(笑)をたくさん残していった父を恨んでいたと思います。一瞬ではありますが、こんなにシンドイなら自分も早くあの世に行きたい、なんて思うことも多々あります。

ただ、ネガティブなことを思った後も、比較的早く建て直すことができるようになったのは、自分なりの世界観ができつつあるからだろう、と思います。仏教書、哲学書をはじめとした本を大量に読んだことに加え、右脳に意識を置くことで、左脳によって解釈する狭い世界観から開放することができるようになったのが良かったのだろう、と思っています。

さて、私が尊敬していた友だちのお父さんは、人生において辛いことは3回起きる、と言いました。今のところ、悶絶するほど辛いことは1回しか起こっていません。このあと2回もあるかと思うとゾッとしますし、正直なところ、生きていてそんな体験を2回も受けるぐらいならば早くあの世に行きたい、と思ったりもします。

今後起こるかもしれない辛い体験を乗り越えるために、もっと自由な世界観、すなわち超能力を得なければならないということなのでしょう。

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