営業の手法

2012/04/30

となみチューリップフェア 番外篇

日本人の美質
坂東 眞理子著

となみチューリップフェアに行く前に図書館で本を借りてきました。10冊借りてきたのですが、フェア会場で休憩している際、同郷人の方の、坂東眞理子さんの本を読みました。

いやはや凄い!震災後、自信をなくしかけている私たちに勇気を与えてくれる本です。坂東眞理子さんの文章は、読みやすい上に、おっかさんのような温かさがあります。たまに、難しいことを書いたり、高いところから見下ろしたように批判的な書き方をする方がいらっしゃるのですが、それは書き手の劣等感からくるもの。その点、坂東さんの文章を読んでいると、本質ってのは誰にでもわかるシンプルなものなんだろう、と思ってしまいます。

自分自身、3.11の悲劇後、経済って何だろう?とかなり悩みました。自分が正しい、と思っていた経済の発展、モノの豊かさってのが、こんなにも脆いものか、と思いつつも、マスコミをはじめとする外部環境は、震災前と同じ状況。マスコミが叫ぶ「頑張ろう」に、「頑張って経済を立て直せば幸せがやってくる」ってメッセージがこめられているような気がして、却って虚無感にかられていました。

坂東さんは言います。「物質的な成長というわかりやすい目標は、日本が経済成長をしているときには人々を幸福にする意味でうまく機能していました。」

震災後、消極的な選択として、今までの「成功」のスタンダードである「物質的な成長」を目指すものいいのですが、それに対し、坂東さんは「ちょっと待って!」といいます。この「ちょっと待って!」が、おっかさんの良さであり、女性ならではの視点で、どう進むべきか書かれています。

学生だったら勉強しなければならない、大人は仕事をしなければならない、ってのは当然のことなのですが、その理由を変えるべきだ、と言います。本を読んでいるうちに、経済的な幸福ってのは、幸福の中のほんの一部だ、とわかります。そして、時代によって形は変わるけれど、決してかわることのないモノ、水前寺清子さんがうたった「ボロは着てても心は錦」の「錦」を追い求めることが幸せなのではないか?とわかってきました。

さて、この本のタイトルに使われている「美質」。ちなみに「きれい」と「美」は違います。

ムスカリ

「きれい」は若い娘に使いますが、おばちゃんには使いません。(おばちゃんに対し、「きれいな着物」ですね、とほめることはありますが。)

「美」とは調和がとれていること。きれいなチューリップのディスプレイに対し、デザインの良さに感心することは元より、お世話をされている方々のことを思ったりすることが「美」なのだろう、と思います。

フェアでは、年配のスタッフの方が、丹念に落ち葉を拾っておられました。せっかく遠方より来られるのだから、ということで楽しんでもらいたいのだろう、と掃除されている方々を思う時。「きれい」を超えて「美」を垣間みることができるのだろう、と思います。

企業を維持するために金を回すことも大事なんですが、そんな「美」を追求し相手さまに喜んでいただくことで対価をいただくことが、震災後の企業経営のあり方ではないか? その際、新しい事業に手を出すような大きな改革をするのではなく、動的平衡の考え方、すなわち外見は変わらないように見えつつも、目には見えない心の部分を入れ替えていくことが大事なのでは? 本を読みつつ、さらにはフェアを楽しむことで、そんなことをふと感じました。

2012/04/27

早朝絵画

今日は天気がよかったので、植物画のスケッチを兼ねて散歩に出かけました。

まずは会社の玄関先のチューリップ「モンテカルロ」をスケッチ。

モンテカルロ

まだ下絵段階なのですが、ずっと描き続けていると愛着が沸いて来るのは不思議なもの。もう少ししたら花びらが散ってしまうという寂しさが絵を描こうと思う力になっているような気がします。

さて、会社の通勤路にムスカリが咲いているのですが、一度じっくり見てみたい、と思っていました。今日、ようやく実現!

ムスカリ

これも下絵段階。遠くでみていると丸の集合体に見えるのですが、先っぽが白く愛らしい花です。

玄関先に花があると、心が和みます。特にお店の玄関先に花があると効果的だと思います。花を育てるってのは手間のいることなのですが、そういったことを惜しまない人が住んだり経営されたりするんだなぁ〜、と感じたり、お金以外のものにも価値観を見いだしておられるのだ、と思うから。センスとは、広い視野から物事を眺める習慣からしか生まれないのだ、と思います。

集客のための販促物を考え、制作することのを生業にしているのですが、会社に花を植えていらっしゃならないクライアントさんには、販促物より花を植えることを勧めています。今の時代は販促物だけでは集客できない時代。費用をかけることが仕事だ、と勘違いしてはいけない時代なのではないか?そんな気がしています。

2012/04/20

カント的正義

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル著

サンデル教授の正義本。ざっと読んだ後、単元ごとにじっくりと読んでいます。この本の面しろ難しさは、いろんな角度から「正義」を分析しているところ。いろんな角度の一つひとつを読むことはとても興味深く、本を読んでいる最中は夢中になって読めるのですが、本から顔を上げて、書いてある内容全てに関し熟考するとまとまらなくなる。多分、自分の読み方が浅いのでしょう。

ただ、深く知ることが「正義」を説明できることと直結するか、と言われれば著者も悩んでいる通り、曖昧。「正義」を言葉遊びで終わらせるのではなく、普遍的で実践的なものにするのはなかなか難しいようです。

今日はカントを集中的に読みました。

カントは、正義を問う上で理性ある人間の動機が大切といいました。義務的な自律的な、そして定言命法に従った英知界にのっとった理性ある人間の動機です。やたらややこしいので、それらに反するけれど正しいように錯覚してしまう動機を紹介すると、

・会社の評判を上げたいなら、顧客に対応に誠実にすべき。
・可哀想な人を利他的な観点から思いやる。

一般的に正しいと思われるようなことですが、これらは理性ある人間の動機ではない、といいます。なぜか?一番の例は、行為そのものが別の手段のために用いられているのがその理由。二番目は、自分の感情や欲求を満たす行動から起こす行動なので違う、といいます。二つとも良い行為ではあるこちに間違いはないのですが、動機ってのはどうやらもっと純粋なようです。

「人に裏切られても人を愛する」

武田鉄矢の歌詞にでてきそそうなフレーズですが、これが「理性ある人間の動機」の正体でしで、この行為をする時に、人は初めて「自由」(一般的な意味の自由とは異なる)な存在となり、「正義」を語ることができるといいます。

この「理性ある人間の動機」とは、孟子の説く「惻隠の心」とよく似ていると思います。東洋思想は例え話で理解させるのに対し、カントはこれを言葉で具体的に説明しました。ただ、概念が一人歩きしているようで純粋すぎてわかりにくいなぁ〜、と思ってしまいます。正義とは難しいものです。

2012/04/19

ティッシュ

ちょっと前までは、駅前や繁華街などでティッシュ配りをよく見かけたものです。

若い頃から、さらには景気がよかった頃から、ティッシュは必ずもらっていました。周りからはカッコ悪いとバカにされましたが、無料で配るものはもらうべきだというスタンス。

さらに、配る方も早く配りたい訳でして、社会貢献の一つとも考えていました。

最近は、ティッシュ配りをほどんど見かけないなぁ〜、と思っていたら、久々にスーパーでティッシュの入ったチラシを見つけました。

ポケットティッシュ

すごく得した気分!

今日も貰おうとスーパーに行ったのですが、チラシは一枚もありませんでした。この時代、ティッシュ入りチラシはすごい有効な販促ツールだと思います。費用対効果が問題ですが・・・。

2012/04/11

宅配寿司

たまに会社にセールスの方がいらっしゃるのですが、昨日は、配達の格好をされた方がいらっしゃいました。弁当か、ピザ屋さんか、と思っていたら、宅配寿司。

宅配寿司

富山で商売になるのか興味がわきます。宅配モノは、宣伝をし続けなければ忘れられていくことより、広告戦略をどのようにするのか、気になるところです。