2009/07/10

只管

今日、富山の大手レンタル機械メーカーが民事再生を申請しました。

しょっちゅうCMがかかっていたことより、親しみがあっただけにショック。
工場見学にも行ったことがあり、その際は置いてあったセグウェイにも乗せてもらいました。

この会社危ないかも、と思ったのが、最近見た新聞広告。

今まで無料だった工場見学が有料に、
工場見学や展示会で、バラまいていた「おわら」「立山」などのポスターが有料に切り替わっていました。
その時には、風評を恐れるのはわかるのですが、ちょっと行動が軽卒なのでは?と思ってしまいました。

さて前述の通り、この会社は、見学会や展示会に行くと、ポスターや会社案内、カタログ等を大袋にごっそりくれました。処分しきれない位です。
機械のカタログを一般消費者に配っても仕方ないのに、と思ったのですが、向こうもどうしてももらってくれ、と言わんばかりなので、何度も何部もいただいてきました。

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そういった中で私が好きな冊子もあります。

「只管(しかん)」の経営

という冊子です。この企業並びに経営者に憧れたため、何度も読んで勉強しました。
会社の方針が「只管」「場切り・時切り」「年中無休・24時間体制」だったのですが、「只管」は心の中で響きました。

PCでは「ひたすら」と入力すれば、この文字出てきます。
別の言葉では「ひたすら」「神ながら」「絶対お他力」「無心」「何も思わない心」「本来の面目」と置き換えられています。
新聞広告などでは、只管の下にいろいろな言葉が並んでいましたが、只管の真理はなかなかいい表せないので、いろいろな角度から表現されたものと思われます。
命の本源に出会うことが大切と説かれていました。

この冊子を読み返してみると

無駄をやることが大切。効率を考えるあまり無在庫主義や休むことは商人として邪道。

社会に必要とされるものは滅びない。ひたすらやってきたリーダーは生き残れる、

木は高さと同じ直径の根を持っている

とあります。

今回の事態に際し、しばし考えてしまいました。

経営者は「只管」の意味を取り違えていたのではないか?
虚栄心で覆われていたのではないか?

もっとも、白隠禅師が悟ったのは、多くを学んだ後、それを全部捨てた時だったと言います。

多くを学んだ後それを捨てて仕事に打ち込めば、あのような無駄な広報活動は無かったのではないか、税金を払いながら内部留保を作ることは立派な社会活動ではないか、と思ってしまいました。

ただこの社長、逃げ出すことはなされないものと思います。今回のことでさらに強くなるでしょう。。

短絡的に失敗を失笑するのではなく、辛酸を深さと、その後に興るであろう復活を同じ時代に生きる者として学ぶべきではないか、と思っています。

この後CMが見られなくのが残念なので、Youtubeで動画をダウンロードしました。
私の心の中では、引き続き富山を代表する急成長企業のテーマソングとして鳴り続けています。