『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか
『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか
南 直哉
曹洞宗の開祖道元の著『正法眼蔵』の解説本。
といっても極めて難解でなかなか頭の中に入ってきません。なかなか頭の中に入ってこないから寧ろ読みたくなる不思議な現象を味わいました。
著者の南直哉氏は1958年生まれ早稲田大学を卒業、1984年曹洞宗において出家得度、大本山永平寺に入門されました。
著書が書かれた時点で福井県霊泉寺住職、青森県恐山院代をされています。
副題が「存在するとはどういうことか」とあり、私が存在するとはどういうことか、について綿々と綴られています。
禅問答を細かく分析するような著者のスタイルに、納得はするものの、本から目を離し、頭の中で論理を組み立ようとするとこんがらがってしまいます。
著者は、言葉をもてあそんでいるようにも思えます。また、これが真理とすれば、真理とはいったい何なのかわからぬまま終わることに無責任を感じたりします。
僧侶とは、常にこのような感覚でいるのでしょうか?
少なくとも、今まで読んだ「正法眼蔵」の解説をはるかに超えています。とても深淵です。
カバーに著者の顔写真が載っているのですが、「どうだ!会得できないだろう」と笑っているようにさえ思いました。図書館の貸し出し期間が今日で切れるので一度は返しますが、その内また借りてみようと思います。