寒山拾得
図書館が蔵書整理のため、休館しているため、最近は、借りた本を何度も読んだり、青空文庫を活用したりしています。休館直前に借りた久須本文雄氏の「寒山拾得」。読み進めて行く内に、子どもの頃に読んだ鴎外の「寒山拾得」が読みたくなり、青空文庫を利用して読み直してみました。
今になって、鴎外が書きたい内容がわかったような気がします。鴎外が子どもにはわかるまい、と言った理由もわかりました。短い書なので朝から3回読んだのですが、読めば読むほど深いところが見えてきます。
鴎外の文中で突然、流れが変わるところがあります。人に対する分類。全国世の中の人に、道とか宗教とかいつものに対する態度に、三通りあるとあります。自分の職業に気をとられてくような無頓着な人、専念に道を求める人、そして中間の人がいるといいます。中間の人は、道に無頓着だというわけでもなく、自ら進んで道を求める訳でもなく、道に親密な人がいるように思って、それを尊敬する人といいます。この尊敬を「盲目の尊敬」というのですが、何のもならない、と。
クライマックスの部分では、寒山と拾得が「盲目の尊敬」に一撃を喰らわします。閭も僧侶も、読んでいる私たちも中間の人であり「盲目の尊敬」を常に正しいと思っている故に何が起こったのかよくわからない。一撃が大きすぎて痛みがすぐにわからない状況が的確に描かれていると思います。
鴎外から離れ、寒山拾得の原文を読むと、その後も閭は、二人の元に届け物をしたそうですが、受け取らず姿を消したそうです。あえてこそまで書かず、読者を空想に泳がせる鴎外の手法は逸品です。
自身を「盲目の尊敬」からいかに解放するか、私自身は一撃を喰った後、痛みがじんわりと身体に染み込んでいる状態でいます。