新しい時代を見通す眼
今朝は向坊さんの著書を深く読みました。中古で買った本はどうやらほとんど読んでいなかったようで、書籍案内や葉書が本にそのまま挟まっていました。

その5章、題名は「新しい時代を見通す眼」
脊髄損傷された向坊さんが、彼なりの視点から今後を予想されているのですが、現実的で実にわかりやすいのです。
ヨーロッパの15世紀に始まったルネサンス以来、人々の考え方は人間復興と人道主義はリードし、人間のエゴがまかり通ったことで、他の生物を犠牲にしている、と。その根本に「迷いの自己」がある。「無明 煩悩 われらが身に満ち満ちて」と親鸞さんがいわれる無知や暗さが諸悪の根源であり、体質改善の障害であると。
さらに、親鸞のご和讃
浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて
清浄の心もさらになし
向坊さんを通じ、幸せや成功ってのはいったい何だろうか、そういったご利益を期待して寺社にすがること自体が浅はかな行為なのだ、と気付かされます。
向坊さんは仏教、特に浄土真宗で救われました。
ソ連の共産主義が崩壊、ヨーロッパ生まれの兄貴分である資本主義の雲行きも怪しくなってきた。社会の腐敗と堕落、環境の汚染と破壊に対し政府は無策であるのに対し、仏教の深い教えのみが、社会制度、イデオロギー、集団行動を規定せず、個人の心を分析解明し、救済しようと努力してきた、と賞賛されます。
そして21世紀は「1.仏の教え 2.社会福祉 3.自然環境の保全」にもっと眼を向けるべき。かつそんなもんにお金をかけることは軸ブレをおこしている、と。
自分にばかり集中していた目の焦点が、他のもの、特に大いなるものに移ったとき、宗教心はすでに芽生えてくるのです。
宗教心とは何か特定の団体に入ったり、特定な対象を崇拝するのではなく、自分を包み、自分を育てようとする大きな力に着目することなのです。
今朝は朝顔、台風で暴風雨のため、会社の中から撮影してみました。今日はなぜか多くの花が咲きました。
先週読んだ「坂本竜馬」、現在読んでいる「松下幸之助」「向坊弘道」「親鸞」。全てに共通するのが視座の移動。自分を知るには、花を知るには、背後に回ることも必要なのだ、と。


