2012/01/01

初詣歩こう会4

会社に戻り、一旦休憩した後、於保多神社に出かけました。

菅原道真公を祀った神社。(私個人は神社7社め)

8時前。人はあまりいません。近所の方が氏子をされていて、捕まってしまいました。

神社の手伝いをさせられそうだったのですが、地衣類、粘菌さがしをしながら上手く逃げてきました。

柳町通り、旧北陸道を東に。途中、顔を出した山が神々しい。

次は稲荷神社に。(私個人は神社8社め)

商売の神様として、人気があります。佐々成政公も好んだ神社です。

正月なので、新幹線工事を眺めながら帰路につくことにしました。

地鉄のかぼちゃとすれ違いました。

それにしても、柱はどこから持ってくるのか、不思議です。いつの間にか、柱が立ち、橋が出来ています。

それにしても上手く作るものです。

昨年もこの場所で写真を撮影したなぁ〜、と。

最後に目指すは千歳神社。(私個人は神社9社め)

こちらも佐々成政公にゆかりの深い神社。交差した国旗をくぐります。

会社を出たのが5時40分。戻ったのが8時40分。3時間徒歩の神社参拝となりました。今年は雪が降らなくていいお正月となりました。神社は昔、寺院と仲がよかったことからもいえるのですが、神社を詣っていると、諸行無常というのをよく感じます。落語「源平盛衰記」を聞きながら早朝残業をした後、歩こう会に参加したためか、平家物語の冒頭

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

が、何度となく浮かびました。無常観を持ちつつ、欲と上手くつきあうことを悟る・・・。これが元旦に神社参拝をする日本人の、自然かつ、健全な発想と思います。

初詣歩こう会3

日枝神社には6時50分到着。日中は行列がつくのですが、この時間は空いています。(私個人は神社4社め)

こちらで解散です。

この歩こう会、護国神社と鹿島神社でお祓いを受けることができました。結構楽しく時を過ごすことができました。

エコリンクの向こうに見えるのがスタバ。

参拝帰りのお客さんで賑わっていました。

初詣歩こう会の帰り道、中教院に寄りました。(私個人は神社5社め)

歴史は浅く、小さな神社。

小さくても水洗い場もありますし、

自販機のおみくじもあります。

中央通り、子どもに頃は賑わっていたのですが、歯抜け状態になっています。

ハッピー食堂前の金魚屋さんもなくなっていました。夏は夜店でカブトムシが売られていた思い出があります。

続いて水神社に。(私個人は神社6社め)

昔の北陸道は、この神社の横を通っていました。この道が北陸道です。

今は横の国道がメイン道路となっていますが、江戸時代は、人通りの多い街道沿いに建っていたのでしょう。

続きは「初詣歩こう会4」で。

初詣歩こう会2

挨拶と説明の後、護国神社へ。先頭の方は旗を持って、その後にぞろぞろと続きます。

思想の入った団体の初詣とでも思われたのでしょうか、途中で車の窓を開けて新年の挨拶をされるドライバーがいらっしゃいました。一同、大爆笑。

6時20分。護国神社到着(私個人は神社2社め)

護国神社は、戦没者を祀ってある神社。個人的には、戦没者というより歴史や事象をお詣りするようにしています。

考え方としては二宮尊徳を参考にしています。

正月なのでお餅で例えると、お餅をひっぱって小さな塊にしたのが個人なのだ、と思います。では、ひっぱる前の塊は何か?と考えると、それが神なのではないか?と。戦没者を追悼しつつ、その上にあるモヤモヤとしたものを詣るのが自分流です。

生きている限り、あらゆるものの関わりの中に身を寄せています。自我が強ければ、自我の諸刃は自分を傷つける。自分が正しいと思い正義のために戦うことによって、犠牲がでる。では、正義とは何か?と考えるための場ともいえます。日常の忙しさの中で忘れそうになるこのような考えを思い出すのが神社なのだ、と思います。

絵馬コーナーも準備万端でした。

続いて鹿島神社へ。(私個人は神社3社め)

私のお気に入りの神社です。大国主命を祀ってある神社。今年は古事記ができてから1300年。社史なんてのを作る際に、自分の会社の悪いことを書かないようなところ、古事記にもあります。が、歴史の中で生き残ってきたのはすごいところ。神話の神様は実在するとは思えないのですが、スピリッツを感じることが日本人として大切なのだ、と思います。

6時46分。空が明るくなってきました。

めざすは日枝神社。

続きは「初詣歩こう会3」で。

初詣歩こう会1

今日は富山市が主催している初詣歩こう会に参加してきました。

風は強いので参加を迷ったのですが、雪が降っていないので出かけることに。

会社で餅を焼いて腹ごしらえ。大和に向かうのに朝5時40分に会社を出ました。

ほとんど車の走っていない道路。静かな朝です。

せっかくなので、通り道、恵比寿神社に詣りました。

名前に恵比寿がつく通り、商売の神様です。いつもは無人なのですが、お正月ということで太鼓を叩いてくださいました。

中央通り、ひっそりしています。

今年最初の挨拶はおまわりさん、お正月から大変です。

総曲輪通りは提灯のディスプレイ。

中心商店街が冷え込んでいる中、気合いが入っています。

6時丁度に集合場所の富山大和につきました。

最初、朝早くからこんな行事に参加する人がいるのか?と思ったのですが、結構いらっしゃいました。約80人ぐらい。年配の方が多かったのですが、若いカップルもいらっしゃいました。

「初詣歩こう会2」に続きます。

年始

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

昨日8時に寝てしまい、今朝も早起き。することがないので出社しました。徒歩通勤の間、いろんなところの植木鉢がひっくり返されているのを発見。たぶん、新年で調子づいた若者が、景気付けに暴れたのでしょう。

自家用車を傷つけられたか、と思い見にいったら大丈夫のよう。会社はどうか、と足早に向かったら、会社の周りはビール瓶が割れてジャリジャリになっていました。近くに酒屋さんがあるのですが、そこの空き瓶を引っぱり出して、いろんな壁に投げたよう。幸い、窓ガラスに当たらず良かったです。

最近残業中、談志の源平盛衰記を聞きながら仕事をしているのですが、この落語、哲学書1冊ぐらいの重みがあると思います。小林秀雄の説く無常観ってのは、まさにこの世界。世の中を悟るには、宗教団体なんてのに所属したり、スピリチュアル系のものを読んだりしなくても、談志を聞いていればいいのだ、と思います。

ガラス瓶を拾いながら思ったのが、今まで自分も自分の快楽のために人を傷つけたなぁ〜、と振り返りました。割ったことを恨みに思う気持ちはさらさらなく、不思議なもので妙に自責の念にかられました。

元旦に皆、初詣に出かけるのですが、神様ってのがいるかいないか、というのは微妙なところ。いない、とすると寂しいから「いる」としたのだ、という認識でいいのだ、と思います。初詣で感じることとビールの後片付け。どちらが人生にとって意味のある行為か、といえばどちらも意味のある行為で優劣はつけづらい、というのが正解なのだ、と思います。

では、なぜ初詣に行くか、といえば、神社が商売のためにやっているためだけのこと。源平盛衰記を聞くと、源平のみならず太古の昔から人間、こと日本人が何を考えて生活を営んできたのか、大体察しがつきます。

悟りから始まる一年の始まりです。