2010/08/21
「論語」「大学」「中庸」「孟子」などを読むと、中核の思想である「誠」の大切さは説かれているが、いざ「誠」とは何か?と説明しようとすると言葉に詰まることが多いのではないか?と思います。
読んだ瞬間は「なるほど!」と思うのですが、どうも抽象的。さらに武士道の「誠」が理解を複雑にしているように思われます。
著書のタイトルは孟子の
「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だこれあらざるなり。誠ならずして、未だよく動く者はあらざるなり」
より。著者の諸橋 轍次さんは漢学の研究者で、大漢和辞典を編纂されました。
私たちは中国の古典を読む際、枝葉のごとく、有名なフレーズを断片的に拾うような読み方をしてしまいます。最初はそれでもいいような気がしますが、それらを読んだ後、諸橋さんの著書を読まれると、四書の根底に流れる思想がよくわかり、佐藤一斎が経糸、横糸の関係と表した「誠」「敬」の意味するものが理解できます。
著書の中で、諸橋さんは、仕事における使命感と職業意識について書いておられます。「中庸」の「位に素して行なう」を引用し、自分の本分に従って行動せよ、と。ただ、その際に職業意識だけで仕事をするようでは不足があり、使命感を持ち続けよ、と。
さて、ホームページを作る真の目的は「使命感」を表現するためと思います。確かに貴重なお金をいただいて広報活動をするのですから収益性が見込めなければなりません。きれいごとだけで生きていけない、という気持ちもあります。「使命感」と「職業意識」はややもすると相反する関係となることもあり得るでしょう。
ただ、使命感が希薄で職業意識だけで立ち上げたい!と思うのなら、医者が病気の患者が増えることを祈るのと同様で本末転倒となります。はやり純粋な使命感ってのが必要となります。
自分の持っている「使命感」ってどうやったら純粋になるか?について非常にわかりやすく書いてあると思いますし、最近の軽いノウハウ本と違い、読めば読むほど身に染みます。自分にとっては今までバラバラだった東洋思想が、ほんの少しまとまったような気がしており頗る喜びを感じております。「四書」を読まれた方や言志四録の佐藤一斎、石田梅岩を研究されている方には絶対オススメです!
ホームページの活用法, 営業の手法
2010/02/16
今日は荻生徂徠の誕生日。徂徠は江戸享保の時期に生きた思想家で、古文辞学を確立しました。
江戸時代に入り、平和となったため、武士に朱子学を学ばせることで規律なりを保ち、平和を維持しようとしました。
ただこの朱子学は、中国宋の時代に作られたもので、孔子の思想がゆがめられているところもありました。
徂徠は、古代の書物に戻ることで、孔子らが何をいいたかったのかを説いています。
その著「弁名」は、批判ではじまり、批判で終わるすさまじい内容。古文でありながら、徂徠の自信が行間から伝わってくるようです。
丁度図書館で借りている読んでいる最中なのですが、子安宣邦先生の解説がわかりやすい。どこが悪いのかを「論語」、「中庸」などの原文を持ち出し解説してくれています。
徂徠の逆説的な突っ込みは、私が支持している石田梅岩を知る時、より理解を深めてくれています。

未分類
2010/02/07
景気低迷のためか、ホームページに関する問い合わせが多くなってきました。特に多いのがリニューアル。
こちらで作らせていただいたお客さん、他の会社で作られたのですがイメージを変えたい、と申し出てこられるお客さん。様々です。
それらのお客さんには、特別な理由がない限り、リニューアルを止めておくように申し出ております。自社で最初ホームページを作らせていただいたお客さんには、止めておいた方がいい理由をレポートにして差し上げています。
大まかな理由は以下の通り。
企業や自社商品にスタンスがなければ、小手先のリニューアルになり、閲覧者もその小手先を見抜くため。
レポートでは、ROIや離脱方程式など、独自理論を用いて説明しております。(若干論理の飛躍はありますが・・・)
先週、印刷会社さんから紹介していただいた先で、私がリニューアルを断ったところ、トラブルが発生いたしました。
仕舞には、印刷会社の専務のいる前で「あなたはプライドが高い人間だ!」とお客さんからボロクソに言われる羽目に。険悪なムードで収まりがつかなくなったため、お客さんにレポートを書いてくるからしばらく待ってほしい、と退散!
この休みにせっせと宿題のレポートを書いていました。このレポートを持参していただく印刷会社さんに、「愛情をもって叱るつもりでレポートを書きました。」と寄せ書きをして送付。

すると、呆れながらも賛同していただき、その印刷会社の専務もいろいろ調査して、最終的に一緒にレポートを作ってくださいました。お金がほしくない!といったレポートを2つの会社で作っているのですから気違いじみています。特に専務は、リニューアルの売上げを見込んでおられたら大変申し訳ないです。
さて江戸の儒学者 石田梅岩は「倹約」を勧めました。私も、お客さんから死に金を受け取りなくない、といった気持ちがあります。ホームページをリニューアルしても、クリック数が大幅に増えたり、売上げが急増するとは思いません。
お客さんはお金の「無駄」、私の会社は時間の「無駄」、こんなささやかな無駄をなくさない限り、この不況は脱しきれないのではないか、と思っております。
ホームページの活用法
2010/01/03
昨日、初詣に行ってきました。
産土である於保多神社は菅原道真公を祀ってある神社。学問の神としても有名です。二日目ということもあり、それほど並ばなくても参拝できました。
その後、商売の神様、日枝神社に行ったのですが、こちらは人で一杯。参道を越えて道まで並んでいました。みぞれが降っていたのでお札のみ購入して別の日とすることにしました。

行列の後尾ではなく、先頭、すなわち拝殿の側に回ってみると意外にガラガラ。雪の山があるため、どうやら効率よく人が流れないようです。
さて、人はなぜ参拝するのでしょう。
そのヒントが儒学者 石田梅岩の「都鄙問答」にあります。念仏によって往生の境地を悟ることについて南無阿弥陀仏と唱える時は、我がなくなり無心の状態になるが、そのような状態をもって自然悟道と言える、といい、仏教も儒教も求めるところは同じだ、と説きました。
ここからが私の拡大解釈ですが、神道でも神社の奥にある鏡は己を映すものと言われています。
また、「かがみ」から「が」の文字を取ると「かみ」になると言われています。参拝というものは、賽銭を渡して神と契約をするものではなく、自己中心的な心を排除する時間を共有するものではないか、と思いました。
昨日、参拝のためにわざわざ並ばれた方は、やっと参拝できるという思いで臨まれることで得るものも多いでしょう。また後日に日をずらした私たちも、それで縁起が悪くなるといったことなぞ無いと思います。
さらに拡大解釈を進めると、神社は目的を持っていくものではない、お参りをしている最中に「邪(よこしま)な気持ち」なぞおこることのない、純粋無垢な気持ちを日常に押し広げて行くこと、それが大切なのではないか、と思いました。
石田梅岩の「都鄙問答」は商人道について説いた本ですが、味わって読むと世の中の原理原則がわかる深い本なのであります。
ホームページの活用法, 営業の手法, 富山
2009/12/31
いよいよ大晦日。あっという間に過ぎた一年でした。
富山はどちらかと言えば雪の元旦を迎えるようなのですが、神社は初詣客で賑わうものと思われます。神とはわかりにくいものなのですが、江戸の風俗と儒学者梅岩(ばいがん)を学ぶことで、謎が解けます。
江戸時代にも、お願い参りは盛んだったようです。ただ今と異なるのが、祈りが叶ったら、お礼も派手だったこと。神社に行くと鳥居などの提供者の名前などが書いていあるのですが、それはその時の名残り。お礼自体が派手になっていったようです。
それに対し、梅岩は、
神様と契約してはいけない、
相手を蹴落としてまでも自分に有利になるように、といった祈りに神様を引きずりこんで、神様を悪者にしてはならない、
と説きました。
菅原道真の説いた
心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん
の言葉通り、心を清浄にするのが第一のようです。心を清く、つねに神様の前に立っているような心構えで過ごすことが「神様に祈る」ことであり、そうすることで人間本来の心が生まれてくるようです。
さて、道真がそのような気持ちでいたにもかかわらず不遇で終わったのはなぜか?実はそう考えること自体が、俗気に犯されているのだと思えてきました。真意と成功、名誉、財産などはイコールの関係ではないのだと思います。
昨日書かせていただいた「茅の輪くぐり」は別名「たいたいくぐり」とも言われています。もう一度、母親の腹の中から出た状態に戻る、と言った意味。純真な心でいることが神々(こうごう)しいこと、と考えると、思想を学んだり、歴史を学んだり、仙台四郎といった人物を学んだりして、「誠」を探ることが大切なのではないか、とも思いました。

神のなった少年 仙台四郎
営業の手法, 富山
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