2012/02/04

わたしが探求について語るなら

昨日、西澤潤一教授の「わたしが探求について語るなら」をちらっと読みました。本の中に、n型半導体とp型半導体の説明があり、pnp型増幅の原理が書いてあったのですが、寝る際、その図のことを考えていたらなかなか眠ることができず、今日は2時に起きてしまいました。

大学時代、仙台にいた私は、陸上の練習が終わった際、大きなお屋敷の前に報道陣が集まっているのを見ました。そこは西澤潤一教授のご自宅、ノーベル賞の発表日で、候補に常に上がっていた教授の家の前は、毎年報道陣が集まる、と聞きました。

その西澤潤一教授が子ども向けに書いた本。なぜ学問をするのか? 研究でつまづきそうになった時にどうすればよいのか? などわかりやすく書いてあります。著書後半は研究について書かれているのですが、発光ダイオード、光ファイバーなど、今は当たり前の技術として使われていることが当時は大発見だったのだ、と改めて思い知らされました。

わたしが探求について語るなら

西澤先生が夢をかなえるために子ども向けに書いた三ヵ条

1.社会のために夢を実現しようとする「責任感」
2.なぜ?と思う「探究心」
3.独自のものをつくりだそうとする「独創力」

とのこと。工学の「工」の字の由来ですが、上の横棒が「自然現象」で、下の横棒が「社会」、それらをつなぐ縦棒がそろうことで「自然現象の原理を使って社会を幸福にする」ことと書かれていました。

科学の力で世の中を発展させよう、という西澤潤一教授の力強いメッセージが伝わってくるような気がしました。

西澤潤一教授は、猛読家だったそうですが、ニーチェの『ツァラトストラはかく語りき』が運命の著だった、といいます。人間社会の最後に残るのは「愛」であり、「愛」があるからこそ、人のため、社会のために自分は役立つ人間にならねば、と思われたそうです。探求という暗闇の中を手探りするような作業を続けられたのは、お金のためではなく、こういったバックボーンがあったからなのでしょう。

2012/02/03

動物の死は、かなしい

動物の死は、悲しい?—元旭山動物園 飼育係がつたえる命のはなし (14歳の世渡り術)
あべ 弘士 (著)

元旭山動物園の飼育係をされていた絵本作家。タイトルは「動物の死」なのですが、最後には哲学的な話になり、なかなか深い本でした。

旭山動物園は、今でこそ人気のある動物園ですが、あべさんが勤めておられた際には予算もない普通の動物園だったそうです。本では、規模をちょっとずつ大きくする話も書かれていました。

こう書くと、大人は「どうしてあんな人気動物園になったのだろう?」とノウハウを知りたがるのですが、あべ弘士さんの答えは簡単。「ただ、好きだったから」。好きな動物にとって自然な環境を与えたい、好きな動物のことをもっと皆に伝えたい、といった単純な思いが重要。私たちのやっている仕事も、資金繰りのことばかり考えていたら面白くない訳で、「好き」から「お金がついてきた」と考える流れを持つべきだ、と教えてくださっているような気がしました。

動物に関する話は面白い。人間みたいにゴリラが赤い夕陽をぼんやり眺めていた、とか、若い女性飼育員がウサギに名前をつけて育てていたら、それが実は餌用のウサギだった、とか、伝染病にかかったシマウマはライオンに「私を殺して」オーラを放つ、など。読んでいるうちに「諸行無常」を感じてしまいました。

あべさん、今は絵本作家として活躍されているのですが、使い終わった鉛筆を捨てないでしまっておられるそうです。すり減った分は、消えて「死んだ」のではなく、動物の絵といった「命」を生んできたから、と。「空即是色」といった般若心経のワンフレーズをそこに見たような気になりました。

この本では、締めくくりがカッコよく、深いなぁ〜、と思わせます。

「手に持った鉛筆やクレヨンや絵筆を通して『伝えたい命』を絵にする。手はそれ自身をまるで自分の考えを持っているかのようだ。絵に熱中してくると、自然勝手に動いているよう。あっ 手の中にある「心」と「命」が『会話』している」

クレヨンは絵を書くことで、だんだん短くなる。短くなったことで描かれた絵は、人に何かしらメッセージを伝える。メッセージを受け取った人は、違う形で他の生物に働きかける・・・。そこには、上手く書こう、とか、お金が欲しい、といった煩悩の入る余地はない・・・。

「縁起」「色即是空 空即是色」「諸行無常」といった仏教の全てが凝縮されているよう。「仕事」とはお金を稼いで裕福な暮らしをするのではなく、アクセク仕事をしつつ、たまに立ち止まって「無常観」を感じることなのではないか?この本は「14歳の世渡り術」シリーズなのですが、そんなことを若い諸君に語りたいのではないか、とふと感じました。

2012/02/02

家族について語るなら

わたしが家族について語るなら (未来のおとなへ語る)
桐島 洋子

昨日、夕食後、桐島かれんのおっかさん、桐島洋子さんの本を読みました。「未来のおとなへ語る」シリーズは、子どもに諭すように書かれているものが多いのですが、桐島洋子さんは自分のことばっかり。生き方は好き勝手すぎるように思えるのですが、あまりにもスケールが違い過ぎて、嫌みにならないところがすごいところ。強いおっかさんです。

こどもの頃に「independent」であることが正しい生き方と教えられ、常にこれを柱に生きていらっしゃいます。これだ!と思ったら、とにかく突っ走る。後のことなんか何も考えないところに、日本人離れした感覚があります。

さて、こんな桐島洋子さん、きっと悩みはあると思います。ただ、悩んだ時に、こどもの頃に深く刻み込んだ「independent」を自分に都合のいいように解釈できる力があるのだ、と思います。

物事の考える際、必ず、もたれかかる思想があります。彼女のように、好き勝手に生き続けるのにも思想が必要な訳で、一般的な日本人と思想が違いすぎるところが刺激になりました。

2012/02/01

孔子と孟子

最近、夕食後に読む本は、発酵学者小泉武夫氏の本か、子ども向けに書かれた本。小泉氏は食の大切さを教えてくれるし、子ども向けに書かれた本は、学校時代に教わらなかった教養というものを教えてくれます。

わたしが国家について語るなら (未来のおとなへ語る)
松本健一著

「未来のおとなへ語る」シリーズは、ルビつきの本で、いかにも子ども向けといったイメージを受けるのですが、内容は大人向け。子どもにはいささか難解で理解できない、と思います。

今回、松本健一氏の書かれた国家に関する本を読んだのですが「国」というものを知るキッカケになりました。直前に「暴力はいけないことだと誰もがいうけれど (14歳の世渡り術) 」を読んでいたことで、私たちは国に支配されているかも・・・、と思っていたのですが、国民国家について理解していないことからくる誤った認識なのでしょう。

さて、著書の中で孔子、孟子の違いについて述べられていました。同じ儒教なのに考え方が全く違う。

人は正しい心を持っているが、欲のために悪いことをしてしまう。だから、礼儀と道徳を身につけ、正しい心(義)をもつよう努力すべきだ、という孔子は、どちらかといえば支配者側の思想。それに対し、孟子は支配者が正しくなければ倒してもいい、と言っています。

民を貴しとなし、社稷之れに次ぎ、君を軽しとなす。

人民が一番、国家が次で、支配する側が一番下。

吉田松陰が松下村塾で教えたのは、孔子ではなく孟子。明治時代のような改革を願っているのであれば、国家について理解をした後、論語を読むより孟子を読め、ということになります。すなわち、大阪市長のような発想は論語からは生まれにくい、ともいえます。

そんな訳で、段ボール箱にしまってあった孟子を引っぱり出してきました。

孟子の厚さ

約3.7cm。久々に孟子でも読もうか、と思っています。

2012/01/30

詩人になれる本

あなたも詩人 だれでも詩人になれる本
やなせ たかし著

先日、やなせたかしさんの本を読んで以来、やなせさんの作品よりもやなせさん自身が好きになってしまいました。好きになればトコトン近づいてみよう、ということで、早速、やなせさんに関する本を読んでみました。

「だれでも詩人になれる本」では詩もさることながら、やなせさんがどのようにアイデアを引き出しておられるか参考になります。

しばらく思い悩んでいると、小さな道ができてきて、仕事を始める。そのうちにすっかりその中にのめり込んでしまい、何かに取り憑かれたような状態になってかきすすめる、と。

一種の無心状態になることが大切で、これなくして作品はできない、と言います。「無心」についてさらに解説されているのですが、自分以外の何かの力を借りなければ作品ってのはできず、そのためには心を透明にしなければならない、と続きます。

だれでも詩人になれる本

ふと、以前読んだオイゲン・ヘイゲルの「弓と禅」を思い出しました。弓と的が一体化しないとダメだ、という感覚。極度の集中によって無心になり、利益とか名声とか全て忘れてしまい、何が何だかわからない状態になること。これが、全てに通じる「道」といえると同時に、やなせたかしさんが技法よりも、このようなスピリットを教えてくださるのは仕事を進めて行く上でとても刺激を受けます。