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愛と敬意

愛と敬意は反対の関係

本当の大人の作法 価値観再生道場
内田樹, 名越康文, 橋口いくよ著

「本当の大人の作法 価値観再生道場」という対談集は、「愛の反対語は敬意」という対談で締めくくられています。

「愛」と「敬意」って、相手に対して思う感覚においては同じように思えるのですが、全く逆というもの。

「わかった」が「愛」

「わからない」が「敬意」

例えば尊敬する人がいる場合、その人のことをもっと知りたいと思っている内が「敬意」であり、その人のことがわかった、と思った状態が「愛」だ、と。

「愛」の何が危険か、といえば、「わかった」と思った瞬間、相手に対して自分が優位に立ちたい、と思い、無意識に行動を起こしてしまうこと。著書の中では、DVなんてのは、相手がこの後どんな行動に出るかわかっているから手が出てしまうのだ、と分析しています。

著書の最後の方にある、内田先生のコトバが秀逸。

「人は共感や理解の上に、関係を築いてはいけないんだよ。共感ではなく違和感。理解ではなく謎。共感はできないけれど『なんでこの人はこんな風に考えているんだろう』って思う気持ちが敬意だから。」

物事、特に人間関係においては、共感したり、理解しようとすること自体が問題。過ちを犯してしまうのは、共感や理解した、と誤解してしまうことが原因なのだ、といったところなのでしょう。

敬意を払うとは距離感を保つこと

ここからは本を離れて。今まで、愛と敬意をごちゃまぜに使っていた自分にとって、「愛と敬意は反対」といった考え方は画期的でした。

相手に魅力を感じるから敬意が起るのですが、そこにはまだ距離がある。それに対し、愛は距離がない。さらにいえば、愛の中で自分が優位に立ちたくなる、自分がわかったつもりになりたくなる・・・。

SNSなんてのをやると敬意と愛の関係がよくわかります。

はじめた当初だったり、友達関係になった瞬間ってのは、相手のことがわからず、こちらも相手の出方をうかがていることが多い。

この状態が正に「敬意」なのだろう、と思います。

そうこうしている内に、関係に慣れてきて、一線を踏み外したくなる状態、はたまた、相手の相談相手になりたくなる状態、相手を諭したくなる状態が「愛」に変わる瞬間。

相手との距離がぐっと縮まる分、「執着」へと変わり、相手の心を所有したくなるのだろう、と思います。

「敬意」「愛」ともきっと人間の本能の部分で、それによって生存し、社会を築いてきたのでしょうが、それが逆に人間関係をややこしくさせる原因に変わる、ともいえるのでしょう。

良好な関係を保つには、人間関係の面では少し物足りないような気がするのですが、「こいつは何を考えているのかわかない」といった関係を保ち続けることが一番なのでしょう。

モテるお店になるためには

この考えを発展させると「モテるようなお店になるための条件」を考えることもできます。

常に新しい手をうつこと。なぜ、新しい手か、といえば、相手を突き放すため。相手に「あの店はこれぐらいのことしか対応してしない」と悟られることは、相手に自分のお店を把握(=頭の中で所有)されている状態なのだ、と思います。

本当の大人の作法 価値観再生道場

また、「お客さまのために、徹底的に尽くしますよ〜」といった表現は微妙。奉仕の姿が新鮮に思える内は「敬意」をもってもらっているので、良好な関係を保てるのですが、いずれ敬意が愛へと変わる時。「あの店は、口ばっかりで大したことはない。」とお客様に支配された関係へと変わってしまうのです。

お客様との距離感と神秘性。この二つが、「敬意」を払ってもらえるショップづくりの条件なのでは?なんて思いました。

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