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世の仕組みを考える

世の中の動きと個人の幸せ

ブッダ論理学五つの難問
石飛 道子著

図書館で本を借りた場合、貸出期間の2週間以内に返却しなければならないのですが、返すのが惜しい本があります。借りている間、何度ととなく読み直すのですが、読む度ごとに新しい発見ある上、著者のいいたかったことが理解できてくるようになる、著者に近づけたような気持ちになる本。内田樹著「日本辺境論」なんてのは、泣く泣く返却カウンターに本を返したような気がします。

そんなに手元に置いておきたかったら買えばいいじゃないか、もしくはコピーすればいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、買ってしまったりコピーしたりして何時でも読める状態にあると読まないのが皮肉なところ。

恋愛や物欲なんてのにも同じことが当てはまるのですが、いつ消え去るかどうかわからない内は必死に追求するのですが、手にした瞬間、どうでもよくなってしまうどころか、なんでこんなモノ買っちゃったんだろう、って心変わりがするものなのです。

さて、石飛道子著「ブッダ論理学五つの難問」とは今日でお別れとなってしまいます。ブッダを論理学といった観点から分析した本で、仏教のわかりにくかったところが理解できると同時に、自分自身、どこで詰まっていたのかがわかる本。西洋の論理学の知識しか持たない自分にとって、しかも西洋の論理学といった枠に全てのモノが納まっていると思っていた分自分にとって、その外側に世界がある、と知らされたのは画期的であり刺激的。この考え方が身につけば、今の世の中がいかに怪しいものか、いや、わかっている知識に世の中をハメようとしているのか、が見えてきます。

では、そんな世の中にうんざりして、世捨て人になって生きていくべきか、といわれればそんな訳ではなく、世の中の動きに振り回さず楽しく生きられるか、がブッダや、この本の言いたかったことではなかろうか、と思っています。

全てを捨てることは難しい。が、モノにこだわりすぎると苦の道に陥る。だったら、どう生きていけばいいのか。その問題に対し、倫理といった一方的な押しつけでなく、論理で自分を納得させる。これがこれからの時代に必要なのだろう、と思います。

例えば、企業体の話。私たちは、全体主義の時代の名残りで「先生や先輩には絶対服従」の時代だったので、会社も滅私奉公が当然だったのですが、今はその価値観では通用しない。滅私奉公の時代には、サービス残業なんてので儲かることで社会が潤ってきたのですが、今やそんな企業は「ブラック企業」と後ろ指をさされることに。

企業というものに対する見方が変われば、その流れに
合わせて企業体を変化させ、持続させるようにしなければならない。そんなとき、企業の経営者は何を信じて生きればいいのかわからなくなります。利潤を求めつつ、従業員に過大な負荷を求めてはいけない。そうなると社長だ、といえばちやほやされた昔を思い出し「昔は良かったなぁ〜」と逃げたくなるわけです。

そんな時、論理がしっかり身についていると、前に進みやすくなります。未来に対する一歩とは、いくぞ〜、と気合いを入れて踏み出すのではなく、静かに力強く押し出すもの。そんな助けをしてくれるのが論理なのだろう、と。

論理が鍛えられれば、推進力がつきやすくなります。そして、認識によってうろたえることもなくなる、という訳です。

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