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ゆりあと読もう はじめての論語

ゆりあと読もう はじめての論語

ゆりあと読もう はじめての論語
なら ゆりあ著

朝は出社した後、本を読むようにしているのですが、残業があったときなどは、そちらを優先させなければなりません。そんな時は、BGMがわりとして、ラジオ深夜便オンラインなんてのを楽しんでいます。ただ、ラジオ深夜便は、更新頻度が少ない上に、リストアップされている作品数もそれほど多く、すぐに聞き終えてしまうのが悩み。

仕事の集中力が途切れず、かつ知的好奇心を満たしてくれるものはないか、と思っていたところ、楽しいCDブックを見つけました。朗読はならゆりあさん。名前は初めてしったのですが、「崖の上のポニョ」のポニョ役の声優。論語好きで論語少女と名付けられているそうです。

聞いてみると、実に不思議な感じ。教養番組なんてので大学教授が論語を解説するときは、朗読の声に距離を感じてしまい、すぐに眠くなるか、違う番組が聞きたくなるのですが、そのなじみにくい論語を、幼い声で読み上げられるとついつい聞いてしまうのです。いや、聞いている、というより、聞き流している感じ。抵抗感なく受け入れられる、というのは、朗読される方の力量あってのものだろう、と思います。甘い声でささやかれると、意味はよくわからなくても流しておいていいか、と思ってしまうのです。

内容はあくまで論語

朗読の声は幼いのですが、中身はあくまで論語です。さらに、朗読者のゆりあさん自身、いじめにあった際、論語に助けられたことなどを踏まえ、子ども目線で解説をされています。子どもから教えられてどうする?と思われるかもしれませんが、子どもの社会と大人の社会との差って、根っこの部分は変わらないような気がします。

社会に自分を合わせようとする気持ちと、それによって抑圧される自分の内にある気持ち。この二つの気持ちの葛藤が常にあるからです。

いじめは程度の大小はあるにしても、なかなかなくならないのは、いじめる方が、自分を認めてもらえない、と感じるため。グループに認めてもらおうとするとき、自分が認められたないことで悔しくなる。前向きな気持ちを持つと常に反作用として後ろ向きな気持ちが生じるのです。

では、皆から注目されている人は、そういった葛藤がないか、と言われれば、そんなことはなく、注目されたい、といった気持ちは、社会に合わせようとする気持ちそのもの。友達の間では人気者なのに家に帰ると親に反抗する、なんてのは、それによってバランスをとっている訳です。

さて、論語の良さですが、偉そうなことを言っているのではなく、抑圧されそうになった時、寄り添って慰めてくれる友のような存在なのでは? ならゆりあさんの朗読を聞きながらそんなことを思いました。

論語によって社会を豊かなものにする、というのではなく、凹みそうな自分の気持ちを落ち着かせる存在。

自分の気持ちを落ち着かせたところで、いじめられることに変わりはないだろう、と思うかもしれませんが、実はいじめられる方も理由があるし、さらにいえば、例えいじめられていても、「いじめられた」と感じなければ、傷にならない。

戯れ合っているのと、いじめとのラインがわかりにくい、といいますが、認識の問題もある、と思います。

論語は、釈迦のように物事の本質を語ることはないのですが、「仁」という言葉を使って、物事の本質を一緒に考えよう、と誘っているのでは?

ゆりあと読もう はじめての論語

早朝、ならゆりあさんの朗読を聞きながら、そんなことを思いました。

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