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挨拶回り

新年という実感がわかない

昨日は、挨拶回りに出掛けました。年始ということで特に急いでいる仕事ななかったため、上がるように勧められた先では、上がってお話させていただきました。結局、会社に戻ったのは夜6時。非常に長い挨拶回りとなりました。

年始ということで、どちらさんもこの一年に希望を持っておられるようでした。逆にいえば一年のスタート時点で悲観な感じでは先が思いやられます。漠然としていても希望を持つことはいいことだ、と思います。

それにしても以前は忘・新年会が決まってあったのですが、数年前よりそれらが皆無になりました。忘年会、新年会の数で、その会社やその人の地位がなんとなく測れるような風潮もあったためでしょうか?意地になって忘新年会を入れていた感じもします。今はそれらがなくなってしまったのですが、そんな今、思うのは、さびしさというよりxむしろ安堵感。あの頃は、自分の会社なり、自分自身なりを安く見られたくない、といった自分の思い込みがあったのでしょうし、社会もそれが基準となっていたような気がします。

その後、景気が悪くなったことに加え、自分らしさというのが浸透し、そのような会に参加することにステータスを感じなくなった人が増えているように思えます。

そうはいっても社会的地位というのはなくなる訳ではなく、序列を重んじるよう団体では今も相変わらず忘・新年会を継続しているようですが、それらに参加している方々もそういった会に時代遅れを感じているのではないか?と思います。

世の中のモノの価格は下がっているにもかかわらず、飲み会に使う費用はそれほど下がっていないこと。メール等でいつでも交信できる環境にあることによって、忘・新年会といった特別な場が設けられなくてもいつでも連絡がつくこと等により、忘・新年会は、廃れているように思います。

挨拶回り

忘・新年会にはあまり魅力は感じていないのですが、昨日の挨拶回りは気合いを入れてやりました。メール等で便利になっているからこそ、わざわざ来てくれた、といった感覚を残したいため。さらに年に一度ぐらい、商売抜きに話をしてもいいのかな、と思ったためです。

商売のことを常に考えているような人でも、正月は気がゆるみます。忙しくないこともあるからでしょう。のんびりと話につきあってくださる方もいらっしゃいます。常日頃、商売のことばかり話しているのですが、それ以外の話をするとパッと目の前が開けてくることもあります。

神社回り

挨拶回りは、時間に余裕がある上、心にも余裕があるので、神社詣りもしてきました。滑川市柳原にあった神社。櫟原(くぬぎはら)神社。

櫟原神社

最近の神社は、風除室タイプのものが多い。アルミ戸を開けると

櫟原神社

どっしりとした造りになっていました。

櫟原神社

村の鎮守さまといったところでしょうか?神社の名前から、この辺りは昔クヌギが多かった場所と推測されます。クヌギといえばカブトムシ。現在、幼虫11匹を育てているのですが、それらが無事、成虫になることを祈ってきました。

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