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行動経済学―感情に揺れる経済心理

行動経済学―感情に揺れる経済心理

行動経済学―感情に揺れる経済心理
依田 高典 (著)

ホームページのトップページでは、行動経済学について項目をとっているにも関わらず、ずっと工事中にしていています。少しは何か書かねば、と思い、正月前に図書館で行動経済学に関する本を10冊ばかり借りてきたのですが、読むことができたのはこの本だけ。ダラけた正月を過ごしてしまいました。並行して白隠禅師座禅和讃の本を読んだためか、宗教と行動経済学の利他性の相違に非常に興味がわきました。

浄土真宗では、利他の心を持つように、といいます。一般の人は、利他というと、自分以外の物のことを指すことが多いのですが、阿弥陀のことを指す、と考えるのが自然です。阿弥陀のことを考えるようにすることで、自分でありながら自分のことを極力考えないようにする。自分のことを考えないようにするために、阿弥陀を中心に据え置く、と考えてもいいかもしれません。

自分のことばかり考え過ぎると、ついつい欲に目がくらんでしまう。また、自分の考えは絶対に正しいのだ、と判断を誤ってしまう。人は他人から考え直すよう諭されると却って自分を肯定するような考えを組み立ててしまいがちなのですが、阿弥陀を差し込むことによって自分の考えは偏り過ぎていた、物事とは多面的で、見る角度によっていろんな見方ができるのだ、と思えるようになるのです。

このような考えを常に持つことができるようになると、ストレスも小さいか、すぐに解消してしまいます。人が生きている以上はストレスがなくなることはありません。心だけなら気楽でストレスなどたまらないのですが、心に身体がくっついているのがよくない。心は無限で何でも思うことができるのに、身体は有限で自由度が低いからです。ただ、有限な身体を窮屈に感じるか、それとも有限を認められるか、は心が決めることでして、窮屈に感じるとストレスをためこんでしまいます。ためこんだストレスは飲食喫煙に走ること解消することができるが、身体を壊すまで中毒性を断ち切ることができなくなる。それよりも心で軌道修正できた方が、健全だし、何といってもお金がかからない分だけ合理的なのです。

南無阿弥陀仏と念仏を唱えることは、唱えることで悪いことがおきないように、と唱えるのではありません。生かしてもらってありがとう、と感謝のために言うのでもありません。自分の中で、そういったセセコマしい自分の割合を小さく小さくしていくために唱えるのです。無限に小さい点になるまで、自分の感情を押し殺すのです。

行動経済学の利他

行動経済学にも利他という考えが登場します。ただし、この場合の利他は、他のことを思いやる自分という意味で使っていて、損得をしっかり考える自分というのが基本にあります。自分一人が得をしよう、と考えるよりも、相手のことを少し考えた方がもっと得をする。得はしないかもしれないが、リスクが軽減される。その場合、利他の気持ちが働く、ということです。

考えてみると、経済というのは利他の精神で成り立っている、ともいえます。相手が自分でやるよりも、早く安く上手く提供できれば、相手は対価を払って、その商品はサービスを購入してくれます。自分が儲けよう、と思い、商売をしていると思っている人がいるかもしれませんが、実は他の人が困らないように、と無意識に利他の思想で商品やサービスを提供しているのです。

浄土真宗と行動経済学の利他をまとめます。いずれも自分以外を思いやることをいうのですが、浄土真宗は自分を押し殺し、自分を限りなく小さなものとします。が、いくら小さくなってもゼロにはなりません。ここが実は浄土真宗を理解する際に難しいところなのではないか?と思うのですが、宗教は思想を丸飲みすることが原則なので触らないでおきます。

行動経済学の利他は、自分を小さくすることなく、自分の幸せを追求します。自分の幸せが大きくなるなら、人のために多少損しても良いではないか、といった考えです。

経済がそれほど熟成していない時期は、損したくないなぁ〜、と思い、独り占めしたり、強奪することで成長し、豪腕でもって益々、力をつけていくことが可能となります。が、経済が成熟すると、力まかせな手法は、世の賛同を得られるにくくなります。

そこで登場するのが利他の精神。他を立てることによって逆に自分に利益をもたらす、という考え方です。「情けは人のためならず」とは、行動経済学の利他のことを言っています。

ただし、利他することで自利がないと、つまらない気分になります。利他の量が少ないのだ、といいように解釈する方法もありますが、一体利他をいくらやればいいのだ・・・、と考えてしまいます。

浄土真宗における利他は、自分のことを考えないようにすること。経済上の損得を考えないことです。利他で経済上のメリットを感じ、他人に施すことで生き甲斐を感じるかもしれないが、そう感じる自分に振り回されてはいけない。同じ「利他」でも中身は全く異なるのです。

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