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企業経営やコンサルと般若心経

[新訳]般若心経 人生を生きやすくするための智慧

[新訳]般若心経 人生を生きやすくするための智慧
ひろ さちや (著)

企業の経営者を見てきたり、ホームページの際にでるお悩み相談を受けていると、働くこととは一体なんだろう?といった疑問が沸いてきます。企業を大きくすることに生き甲斐を感じている経営者の方がいらっしゃるのですが、よくよく観察しているとどうも幸せそうじゃない。見栄を張って自分のステイタスを上げることによって仕事を取ってきているまではいいのですが、その循環をよくするために、安い仕事をかき集め、部下に労働を強いる。こんなことは長く続かないはわかっているが、他にやり方も見つからないので、もっと大風呂敷を敷きたくなる。その様子を見ていると、何時か行き詰まるのではないか、とこちらが辛くなってきます。

傍で見ていて失敗する分にはいいのですが、自分がコンサルタントでかかわるような場合、非常に悩むことになります。なんとか暴走を止めたいが、止めようとすると反対者扱いされてしまい怒りを買ってしまいます。そこを上手く誘導するのがコンサルタントの腕の見せ所なのでしょうが、そこまで手間をかける余裕もなく、徐々に距離を空けるように仕向けていきます。

が、それと同時に、何か気の効く提案はできなかったものだろうか?と決まって心残りが起こります。経済学や経営学をいくら学んだところで、心の虚しさは解消できないように思います。聞く耳を持たない経営者にいくら説得したところで馬の耳に念仏だからです。

般若心経とは

般若心経は、二つのことを言っているのではないか?と思っています。一つ目は、人間の認識は自分が勝手に作り上げていること。二つ目は、それを受けた上での生き方です。

新聞の経済面で売上や利益を伸ばしている企業の話題が載っていると、凄いなぁ〜、と思うと同時に、自分の会社はどうしてダメなんだ、という焦りが決まって生じます。その割合は1:9位かもしれません。報道は単に事実を述べているだけなのに、受け手側の私は、自分なりに解釈してしまうのです。同じ記事を子どもや主婦が聞いたり、読んだりしても何も感じません。

新聞を見たら心が揺れるから新聞は見ない、という考え方や、新聞を見ても動揺しない強い心を作ろうと思うかもしれません。それに対し、般若心経は、事実を受け止めるまではいいが、それによって心を支配されてはいけない、といいます。

「無」とは、ないのではなく、こだわりをもつな!ということ。今回、ひろ さちやさんの著書を読んで、今まで「無」の意味を誤解していたことがようやくわかりました。

危うい経営をされている人を見ると、どうしても諸行無常をベースに説教をしたくなっていたのですが、なるなることがいいことではない。大きいとか小さい、とか、金がある、とかない、といったこだわりをもたないこと。経営戦略は練るのもいいが、練る際にこだわりを持たないことが大事だ、ということ。

そうすることで、心軽く経営ができるということを教えてくれているのだろう、と思います。

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