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人は偽善者であるべきか?

偽善のすすめ: 10代からの倫理学講座

偽善のすすめ: 10代からの倫理学講座
パオロ・マッツァリーノ (著)

昨日から今日にかけて読んだ本。読み直して結局3回読みました。子供向けなので表現はやさしいのですが、中身が深い。与野ん中でタブーとされていてようなことが文字になっていて、小気味よいのと同時に、自分の中で思考の整理ができます。

私たちは、常に人と比較して生きています。そして気にくわないと、ついつい批評したくなります。「偉そうにしでんじゃないよ」「かわいこぶって」「もっともらしいことをいいやがって」などなど。

これ全部、偽善に否定する言葉。偉そうにしているけど、影で何をやっているかわからない、とか、モテたいからそんなことをしてんだろう、腹の中は何を考えているんだかわからない、なんて感じで「うわべだけの善人」を許せないのです。

投稿サイトなどで批判している内容なんか見ても、悪に対する批判以外に、偽善に対する批判も多い。得しているようなヤツをみると許せないのです。

理想だけでは生きられない

この本の最後に、偽善肯定派と否定派に分けた年表が載っています。

FJ310201

この本を読むときには、この年表を横に置いて読んだら、理解がグッと深まります。偽善をよくない、としているのは昔の宗教者や哲学者。最初に偽善をよくないことと言い出したのはキリストではないか?といわれています。

自分の心の中に、善と悪がはっきりとわかれる、と考えているからなのでしょう。人が見ている前で寄付するなんてのは、心にもない義務に従っているだけだ、なんてバカにしています。

また、こういったピュアな考え方は、マスコミには都合がよく、1970年代に週刊新潮が偽善を否定した、と紹介されているのですが、今もこの流れは週刊誌に受け継がれているのではないか?と思います。スキャンダルのあった政治家をまな板に載せる手法。偽善者を否定する手法は、ウケがいいのでしょう。

政治に関して書いていて、ふと気づいたのですが、民主党が短命で終わったのも偽善が一番の問題だったのではなかろうか?自民党を偽善だ、と批判していたときは良かったのですが、自分たちが政治を動かす当事者に立ったら、偽善なしに動けなくなったことに気づいてしまった。そんな浅いところが要因なのではないでしょうか?

理想を求めよう、とする宗教家と哲学者以外、理想だけでは生きられないことを知るべきなのでしょう。

静観録の深さ

同じ宗教の中でも仏教は偽善肯定派。

われわれがしている行為は、意識しようがしまいが、すべて偽善であり、偽善を憎む心もまた、同様に偽善でああると知ったときにはじめて真実の善に足を踏み入れるのだ

この言葉、実に深い。「アイツを許せない」と憎む自分の心もアイツと同じ偽善なんだ、と。偽善だ、と責める自分は一体何ができるのだ?と問うた時に、一つ成長する、ということなのでしょう。

マキャベリから経営を学ぶ

本の中では、経営についてマキャベリの「君主論」を引用して、ちらっと書いてありました。

国を治める君主は善人である必要はないが国民の信頼を得るたには善人のふりをすることが絶対に必要だ

会社の社長も善人であり続けることは不可能。

A社の社長は善人だけど経営がヘタ。会社はいまにも倒産しそう、給料が少ない。

B社の社長は偽善者だけど経営がウマイ。会社は安泰で給料もたくさんもらえる。

現実問題としてどちらを選ぶか?というのが本にありました。

悪はいけないが、偽善は社会潤滑油だ、と考えれば、他人の偽善に腹も立たないし、自分の中にある途半端な正義感にしばられることがないのではなかろか、と思いました。

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