収益性の上がるホームページ制作のご提案

「我慢する」がなくなる本

「我慢する」がなくなる本

「我慢する」がなくなる本
和田秀樹 (著)

2016年6月と最近書かれた本。和田秀樹先生といえば博学で知的好奇心をくすぐるような本を書かれる先生だったのですが、今回の本では内容がずいぶん軽くなったような印象を受けました。「我慢する」ことが好きな方向けの本なので、たとえ骨のあるような内容を書いても読者は付いてきそうな気がするのですがあえて軽いタッチにしたのはやや不思議です。こういったお悩み解決本が売れなくなったため、軽い内容にせざるをえなくなったのかもしれません。

私の周りを見渡してみると、ここ最近、我慢しなくてもよくなったなぁ〜、と感じています。時の流れの中で、だんだん見栄をはらなくても生きていけるように社会が変わっていったのかもしれませんし、私自身が衰えてきて我慢することを避けるようになってきたのかもしれません。我慢してきた頃を振り返ると、なんであんなに嫌なことを我慢してきたんだ、と思う反面、我慢してきたからこそ得られたものもあり、どっちがよかったのかよくわかりません。目的が明確な場合には我慢してもある時から辛さを忘れることができるのですが、単に無理を強いられると苦痛しか残りません。経済の成長期、今よりもハードに働いたし、辛い飲み会にも耐え、我慢を昇華して生きる糧にできたのは、売上アップや出世といった目的があったからなのでしょう。それに比べ今のような変化の早い時代では我慢がムダに終わることが多くなっているような気がします。だったら、我慢する必要などない、といえます。

我慢と努力の違い

子どもの頃を振り返ると、我慢して勉強したことを思い出します。我慢することは良くないことであるならば、我慢しながら勉強することもよくないことなのか?といったところは難しい議論。確かに我慢して勉強したことって大人になっても何も残っていない。といって我慢なしに勉強するような優等生はあまり見たことがありません。

これに対し、「強育論」の著者、宮本哲也氏は学習は子どもの学びたい、といった本能にまかせるべきで、我慢して勉強させるのは間違いだ、ときっぱり言います。パズルなどで興味をもたせるようになれば学習するようになる。その習慣ができれば、頭を使う習慣ができる。頭のいい子というのは常に頭を使うように努力している子のことをいうのだ、といいます。

我慢しない、というと、好き勝手に生きていいのか、と著者の和田先生に詰め寄りたくなるのですが、宮本さんの本と合わせ読みすると、我慢ではなく努力することだ大事なことがわかってきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です