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梅岩に学ぶ神社参拝

昨日、初詣に行ってきました。

産土である於保多神社は菅原道真公を祀ってある神社。学問の神としても有名です。二日目ということもあり、それほど並ばなくても参拝できました。

その後、商売の神様、日枝神社に行ったのですが、こちらは人で一杯。参道を越えて道まで並んでいました。みぞれが降っていたのでお札のみ購入して別の日とすることにしました。

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行列の後尾ではなく、先頭、すなわち拝殿の側に回ってみると意外にガラガラ。雪の山があるため、どうやら効率よく人が流れないようです。

さて、人はなぜ参拝するのでしょう。

そのヒントが儒学者 石田梅岩の「都鄙問答」にあります。念仏によって往生の境地を悟ることについて南無阿弥陀仏と唱える時は、我がなくなり無心の状態になるが、そのような状態をもって自然悟道と言える、といい、仏教も儒教も求めるところは同じだ、と説きました。

ここからが私の拡大解釈ですが、神道でも神社の奥にある鏡は己を映すものと言われています。
また、「かがみ」から「が」の文字を取ると「かみ」になると言われています。参拝というものは、賽銭を渡して神と契約をするものではなく、自己中心的な心を排除する時間を共有するものではないか、と思いました。

昨日、参拝のためにわざわざ並ばれた方は、やっと参拝できるという思いで臨まれることで得るものも多いでしょう。また後日に日をずらした私たちも、それで縁起が悪くなるといったことなぞ無いと思います。

さらに拡大解釈を進めると、神社は目的を持っていくものではない、お参りをしている最中に「邪(よこしま)な気持ち」なぞおこることのない、純粋無垢な気持ちを日常に押し広げて行くこと、それが大切なのではないか、と思いました。

石田梅岩の「都鄙問答」は商人道について説いた本ですが、味わって読むと世の中の原理原則がわかる深い本なのであります。

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