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奇跡とは何か?がわかれば、生きることが楽になる

武田邦彦の科学的人生論 『武田先生、ホンマでっか! ?』
武田 邦彦 (著)

読むたびに理解が深まる楽しさに、ついつい10回も読んだ本。

この本ですが、内容を理解できる人と、胡散臭いを思う人の二つに分かれると思います。わかりにくいので理解できるまで時間がかかりますが、わかった瞬間、視界がパッと開けるような本でした。

年を重ねると、ふと生きる意味を考えてしまうことがあります。

忙しいときはそんなこと、考える余裕もないのですが、働いてもそれほど儲からなかったり、体調を崩したときなどは急に弱気になったりします。

自分一人だけが辛いのだろうか?と考えてしまうのですが、みんなもそれなりに辛い思いをしています。ただ、人の辛さはわからないので自分ばかりが辛くみえるのです。

お釈迦様が生きることは苦しみだ、と説いた通り、人生、うれしいことはほんのちょっとで、あとは辛いことばかりです。

その仏教では、苦しむだけだから欲は持たない方がいい、と言います。しかし、です。生きていくためには、今日の食費が必要になり、お金が必要になります。結局は、欲は捨てたくても捨て切れられない、という矛盾が起こります。

また、現実は辛いので夢を持って生きるべき、という考えもあります。

そもそも私のようなバブル世代は目標を持つことを正しい、として育てられました。たしかに目標を持たないと人間は落ちていきます。ただし、目標がある、というのは、現実に不満をもっていることの裏返しで、これまた辛い生き方になります。目標というのは、最終的に欲そのものだからです。

また、「自分らしく生きる」とか「ありのままの自分」という考えもあります。これも、耳ざわりはいいのですが実は理解しづらい言葉です。自分らしく生きているような人って大体は成功者でして、却って自分の惨めさが浮き彫りになってしまうからです。

思想的なことを学んでも生きるのが楽にならないのは、このように思想が常に矛盾をはらんでいるからであり、自分が変わらない限り、思考さえ理解できれば人生全てが解決できる!といった万能薬ではないからなのです。

奇跡とは何か

会社を経営していると、常に奇跡が起こってくれないかなぁ?と思います。

楽に儲かる仕事が来ないかなぁ?。

資金繰りがもっと楽にならないかなぁ?。

奇跡というだけあって、これらはなかなか起きません。

武田邦彦の科学的人生論 『武田先生、ホンマでっか! ?』では、この奇跡の正体についても解説しています。

この本の中では「奇跡は必ず起きる」と大胆にも断言しています。そこの部分だけ読むと、この本は怪しい、奇跡なんて起きる訳ないから奇跡なんだ、と思う人が多いと思います。

武田先生が言いたいのは、願いも奇跡も脳で考えた幻想ということです。物質の世界と違い、脳の世界は空間も時間も超えています。そう書くと、いかにも科学的であり、けむに巻かれたようで胡散臭いなぁ?、と思われるでしょうが、現実も奇跡も同じレベルで考えることができるのが人間の脳の特徴であり欠陥でもあるのです。

本のタイトルに「科学的人生論」とついているのですが、脳、心、体に切り分けて分析されています。私自身、最初にこの本を読んだとき、どこが科学かわからなかったのですが、切り分けて分析することでようやく理解が進みました。

私たちは一人の人間なので、脳、心、体は一体のものだ、と考えてしまうのですが、それぞれの役割は違うし、目指している方向も違います。

体は常に動かしたい、と思うのに対し、脳は楽をしたい、と思う。心は快適に思うのに対し、脳が危機感をあおる。そんな中、人は脳を使って体や心を支配しようとするから、自分の体がおかしくなるのです。

さて、話を奇跡に戻しますね。奇跡は脳が考えた幻想なので、武田先生は「奇跡は必ず起きる!」と断言しています。

ここの部分は、この本では説明不足で読者の方は理解できないところだと思います。

武田先生が言いたいのは、奇跡は必ず起こるが、むしろ、どうでもいいや、と思うことも正解だということ。

奇跡って必ず起きる、と書いたのに、どうでもいい、と言うなんて単なる言い訳じゃないか、と反論したくなるかもしれません。

ただ、もし奇跡を思い描いたならば、起きるか起きないか、を考えるのではなく、起きると思うことが大切だということなのです。なぜなら、奇跡とは幻想だから。

幻想の世界を現実の世界の延長と考えるからわからなくなるのです。言葉をもてあそんでいるだけじゃないか、と思うかもしれませんが、実は言葉にもてあそばれて苦しんでいるのが脳なのです。

私たちは「奇跡は起きる」と踏まえた上で、日々精進しなければなりません。

と書くと、ほーら、やっぱり努力しなければ奇跡は起きないんじゃん、と思う人がいるでしょう。

その時のキーワードとなるのが、自分が心地よい、と思えるかどうか、です。

奇跡は頭の片隅に置いておいて、自分が夢中になれることや、人が喜んでくれることをやることが重要。心や体が快感をおぼえることです。

例えば億万長者になりたいと思ったとしましょう。億万長者になれる、と思うことが重要なのは、それが幻想だから。

奇跡を起こすために目の前の仕事を頑張ろう!と思ったら義務感が発生します。

そうではなくて、億万長者になるための工夫を楽しい、と思えるようなことを見つけなければならないのです。

武田先生は別のところで、願いとは将来のことではなく今日のことだ、ともいいます。

これも理解するまで時間がかかりますが、わかると自分の次元が変わるのがわかるところです。

願いの本来の目的は、幻想と今の自分とのギャップを確認するためのものです。願いを持つことはいいのですが、その脳の幻想に自分が振り回されてはいけません。

願いとは、今日の自分が心地よくなるためのツールだと考えられるようになればOK。いろんな宗教や哲学、スピリチュアルものを読んでもなかなか理解できなかった理由がわかります。

そして、自分の脳が自分を苦しめていたことに気づくのです。

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