久々にブログに顔を出してみました。私のブログは知り合いも見に来ているので、休んでいる間、いろんな人に心配されたりしたのですが、普通に元気にやっていました。
以前は閃輝暗点で悩まされていた記事もあったので体調を崩しているんじゃないか、と思われた方もいらっしゃるようですが、独自の治療法を見出し、ほとんど症状が現れなくなりました。最近では、夜中走るようにしているのですが、昨年走り込み過ぎで、思いっきり体調を崩したことより、今年はほどほどにしています。
仕事に関しましては、最近あまり出歩かないようにしているので、時間に余裕ができるようになりました。新型コロナウィルスに関しましては病気が移ることの恐怖よりも、自分が万が一かかっていたら多くの方に計り知れないほどの迷惑をかける、と思うと怖い。もしかしたらちょっと前に移った可能性があるかも、と仮定したら、営業活動は最小限のものとなりました。
この新型コロナウィルスですが、学校を含めた公的機関は自粛時期を短期にしていることより、早々に収束しそうなイメージを持ってしまいがちなのですが、自粛が長期化するのは確実だと思います。特効薬ができるまで感染スピードを落ちるのはずいぶん先。それを考えるのが恐ろしいので、今は静かに願っている時期なんだろう、と思います。
ただ、企業経営者はそうはいきません。終息を望みつつ、企業活動や生活を長期スパンで考えないといけないのです。
近所を歩いていて、高齢の方と会ったら、感染対策を十分にとった上で雑談をするようにしています。
話題は、戦争の時代、何を思ったか。
学校の歴史の授業では、無味乾燥に重要人物や出来事しか学ばないのですが、その時代も一般市民は生活しているし、企業活動をしています。
目まぐるしく変わる状況の中で、人はどんな気持ちでいたのか、何を支えに生きていたいのか、を聞いています。
なんと当時子どもだった人の中には、今よりもあの頃の方が楽しかった、という方もいらっしゃいました。今の時代は成熟し切っていて頑張ってもほんのわずかの人しか成功しない。
それに比べ、当時は、やるべきこともたくさんあったし、今ほど努力しなくても簡単に成果を上げることができた。変化のスピードが楽しかった。だからこそ昔が輝いてみえるんだと思います。
人から話をうかがうばかりではなく、戦争の頃の歴史を学んでいます。
その際、主要人物や出来事を単に棒読みするのではなく、出来事と出来事の間を読むようにしています。
すなわち、その頃の政治家や民衆が何を正しい、と判断したのか、です。
正しい、と思って判断したことが、時間の流れの中でやむを得ず、という考えに変わっていくことってよくあります。戦国時代は昔なのでピンとこないのですが、昭和の変動は、わかりやすいです。
正しい、と思ったいくつかの小さな要因が重なって、やがて本筋から大きく外れた間違った状況に陥るのが、歴史です。
ただ、そこでもあきらめないで、またもや正しさを求めていく。歴史って、そういった人々の行動の積み重ねです。
国や経済の先を読む場合に、人の心理を読むことは重要です。歴史はそれを学ぶことができるツールなのです。
また、経済の歴史にも興味があります。株を持っておられる方は、経済評論家の方の意見に右往左往する前に、経済史を学ぶことをお勧めします。特に昭和初め。混沌とした今だからこそ、当時の状況がありありとイメージできるはずです。
とにかく刻々と情勢が変わりつつある中、半年ぐらい先を予想して、そこから細かく方針を立てていかないといけません。
政治は責任が伴うことよりどうしても結論が遅くなります。政治に期待していたら、自分を取り巻く状況が悪化する可能性大です。しかも、期待していたことによる損失分は自己責任なのです。
ただし、自分で正しい、と判断したことが、新型コロナウィルスの影響によるパラダイムシフトにより意味をなさなくなることがあります。
脳について学ぶと、自分で自分をコントロールしやすくなります。脳は変化をきらう傾向にあるのでパラダイムシフトしても方向転換できない、または、何もしない方がいい、という結論に至ってしまうことがあります。
さてさて、富山市の図書館が休館することになました。今日が最後の貸出日。5/1を再開日としているのですが、本当に開くのか誰にもわかりません。
新型コロナウィルスに振り回されないためにも、いろんなジャンルの本を借りて自粛期間中、知識武装されることをおすすめします。